光明真言の意味とは?23文字の読み方と大日如来・五仏との関係、智山派や天台宗との違い、勤行での唱え方や回数と西大寺の土砂加持まで

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「おん あぼきゃ べいろしゃのう」で始まる光明真言。法事やお寺の勤行で耳にしたことはあっても、どんな意味の言葉なのか、どこで区切って読むのかは、意外と知られていないかもしれません。

この記事では、真言宗のお寺の公式サイトや大学のページ、辞書、奈良市観光協会の案内などを読み比べて、光明真言の正式な名前、一語ずつの意味、宗派による読み方の違い、勤行での位置づけ、西大寺の土砂加持大法会までを整理しました。功徳については、お寺や経典で「そう説かれている」という形で紹介しています。

目次

光明真言とはどんな真言?

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まずは、光明真言がどの仏さまの真言で、どんな経典に説かれているのかを確認しておきましょう。名前の由来と文字の数を知っておくと、意味を読むときの手がかりになります。

正式名は「不空大灌頂光真言」、23文字と24字の数え方

光明真言は、正式には「不空大灌頂光真言(ふくうだいかんぢょうこうしんごん)」という密教の真言です。百科事典のウィキペディアによると、密教経典の「不空羂索神変真言経(菩提流志訳)」や「不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言(不空訳)」に説かれているとされています。

辞書を見ると、歴史民俗用語辞典では「大日如来の真言」、デジタル大辞泉では「密教で用いる真言の一。これを唱えると、一切の罪障が除かれ、福徳が得られるという」と説明されていました。

真言宗豊山派の金剛院の公式サイトでは、光明真言は大日如来さまのご真言で「祈りの言葉」であり、一切諸仏諸菩薩の総真言でもあると紹介されています。真言宗の中でも重要な真言だそうです。

光明真言は短い真言です。金剛院の公式サイトでは「23文字の短いお経」と紹介されていました。ウィキペディアによると、23の梵字から成り、最後の休止符「ダ」を加えると合計24の梵字を連ねる形になるそうです。

奈良の観光情報サイト「なら旅ネット」でも、光明真言は23の梵字に休止符を加えた24の梵字からなり、サンスクリット語のまま読誦されると説明されていました。お寺の案内で「23字」と「24字」の両方を見かけても、どちらかが間違いというわけではなさそうです。

そもそも「真言」とは何でしょうか。金剛院の公式サイトによると、真実のことばで仏さまの真理を説き、その徳をたたえる短いお経のことで、梵語(サンスクリット)をそのまま音写したものです。短いものを真言、長いものを陀羅尼(だらに)と呼ぶと書かれていました。

この24の梵字は、図の形でも伝わっています。ウィキペディアによると、地・水・火・風・空の五大をあらわす「ア・ビ・ラ・ウン・ケン」の五つの梵字を中央と上下左右に置き、そのまわりを光明真言の24梵字が円を描くように取り囲む「光明真言曼荼羅」があるそうです。日本では平安時代から、光明真言法による加持が行われてきたとも書かれていました。

一語ずつ見る光明真言の意味

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密教では梵字や陀羅尼を訳さず、梵音のまま唱えるのが通例とされています。それでも、一語ずつの意味を知っておくと、唱えるときの気持ちが変わるかもしれません。ここでは前半と後半に分けて見ていきます。

前半・後半の一語ずつの意味と、お寺による訳し方の違い

ウィキペディアの「発音と意味」の表では、前半は次のように説明されています。

  • おん(oṃ):オーン。聖なる音
  • あぼきゃ(amogha):不空なる御方よ
  • べいろしゃのう(vairocana):毘盧遮那仏(大日如来)よ

「べいろしゃのう」は、大日如来のサンスクリット名「ヴァイローチャナ」の音を写したものです。最初の「おん」は、多くの真言の始まりに置かれる聖なる音で、光明真言では最後が「うん」で終わります。

同じ表では、amogha(アボキャ)は不空成就如来、vairocana(ベイロシャノウ)は大日如来を指すという解釈も紹介されていました。この解釈によると、光明真言は金剛界五仏(五智如来)に光のように加持を求める真言になるそうです。

後半の意味は、ウィキペディアの表では次のとおりです。

  • まかぼだら(mahāmudrā):偉大なる印を有する御方よ
  • まに(maṇi):宝珠よ
  • はんどま(padma):蓮華よ
  • じんばら(jvāla):熾光(しこう)よ
  • はらばりたや(pravarttaya):転変せよ
  • うん(hūṃ):聖なる音

五仏との対応でいえば、マカボダラは阿閦如来、マニは宝生如来、ハンドマは阿弥陀如来とされています。前半の不空成就如来と大日如来を合わせると、金剛界の五仏がそろう形です。

やすらか庵の解説では、金剛界曼荼羅の中央の「成身会」で、大日如来を中心に阿閦如来・宝生如来・阿弥陀如来・不空成就如来が取り囲むと紹介されていました。光明真言の言葉の並びと、曼荼羅の五仏を見比べてみるのも面白いですね。

光明真言の訳は、ひとつに決まっているわけではありません。金剛院の公式サイトでは、意味を「大日如来さまにお願い致します。私たちの進む道を無量の光で遍く照らし出し、どうか成就するようお導き下さい。」と紹介しています。

栃木市の満福寺の公式サイトでは、住職訳として「オーン。虚妄なき(智慧の)光明で遍く照らす(大日如来の)大印で摩頂潅頂された宝珠と蓮華をもつ者よ、光り輝きたまえ、転じたまえ、フーム」という内容の訳が載っていました。こちらは「宝珠と蓮華をもつ者」を不空羂索観音菩薩とみる読み方です。

なら旅ネットでは、直訳すると「帰命し奉る 空しからざる遍照尊よ 偉大なる印相よ 摩尼宝珠と蓮華の光明を回らしたまえ」という意味になると紹介されていました。どの訳も、大日如来の光で照らしてもらうことを願う点は共通していると読めます。

宗派によって違う読み方

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光明真言は真言宗だけでなく天台宗でも唱えられますが、宗派によって読み方が少しずつ違います。ここでは代表的な違いを確認しておきましょう。お寺でもらった経本と見比べると分かりやすいはずです。

真言宗の多く・智山派・天台宗の読み方の違い

ウィキペディアでは、「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」は真言宗(智山派以外)の唱え方と説明されています。真言宗豊山派の金剛院の公式サイトも、同じく「はらばりたや」の表記でした。

一方、真言宗智山派の場合は、最後の部分が「はらはりたや」になるそうです。栃木市の満福寺の公式サイトでも「はらはりたや」と表記されていて、「あぼきゃー べーろしゃのー」と伸ばす音が書き込まれていました。

ただし、大正大学の仏教学科のブログでは、真言宗智山派では「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」と唱えている、とカタカナで書かれていました。表記の仕方は資料によって揺れがあるようなので、自分の家の宗派の経本や、菩提寺で教わった読み方に合わせるのがいちばん確実だと思います。

天台宗では、前半の読み方が変わります。ウィキペディアによると、天台宗では「おん あぼきや びろしゃな まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」と唱えるそうです。

真言宗の「べいろしゃのう」が、天台宗では「びろしゃな」になっています。どちらも大日如来(毘盧遮那仏)のサンスクリット名vairocanaを写した音で、写し方の違いと考えると分かりやすいでしょう。「あぼきゃ」と「あぼきや」のように、小さい「ゃ」かどうかの違いもあります。

やすらか庵の解説によると、光明真言は真言宗や天台宗で法事や法要の時によく唱えられ、在家の方でも日常的によく唱える真言だそうです。お葬式や法事で聞いた読み方が少し違っていたら、宗派の違いかもしれません。

天台宗の公式サイトでも、天台宗では一般に「オン、アボキヤ、ビロシャナ、マカボダラ、マニハンドマ、ジンバラ、ハラバリタヤウン」と唱えていると紹介されています。同じページによると、葬式や法事、施餓鬼会などでは、まず「光明供(こうみょうく)」を修するのだそうです。光明供は阿弥陀仏を本尊とし、光明真言を念誦する法要と説明されていました。

勤行ではいつ、どう唱える?

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光明真言は、お寺の勤行や家庭でのお勤めの中で唱えられます。ここでは、勤行の流れの中での位置と、唱える回数や心がまえについて、お寺のページに書かれていたことを紹介します。

勤行での位置、唱える回数と手の形、声に出すことの大切さ

埼玉県川口市の吉祥院のコラムによると、真言宗智山派には檀信徒が一緒に読経するための『智山勤行式』が用意されています。大まかに分けると、懺悔文、三帰礼文、十善戒、発菩提心・三昧耶戒の真言、開経文、般若心経、光明真言、宝号、普回向の九つの部分から成り立っているそうです。

光明真言は、般若心経の次、7番目に置かれています。吉祥院のコラムでは、亡くなった過去の精霊の後生菩提を祈るために光明真言を唱え、そのあと仏と両祖大師に祈りを捧げ、最後に普回向でその功徳をすべての生きとし生けるものに振り向ける、という流れが説明されていました。

やすらか庵の解説でも、可能であれば般若心経を先に唱えてから光明真言を唱えてみるよう書かれていました。金剛院の公式サイトでも、光明真言と般若心経の2つが「真言宗の大切なお経」として並べて紹介されています。

回数については、やすらか庵の解説では、1回だけでも構わず、可能であれば7回、21回、108回、時間があれば千回でも構わないと書かれていました。回数を数えるなら数珠を使い、数えることより唱えることに集中するのが大切だそうです。回数にこだわらず、心が落ち着くまで唱えてもよいとされていました。

同じ解説では、手の形として大日如来の智慧を表す「智拳印(ちけんいん)」が紹介されています。左手を握って人差し指だけを立て、その人差し指を右手で覆うように握る形です。負担が少ない方法として、膝の上で両手を軽く合わせる「法界定印」も挙げられていました。

座り方は、あぐらや正座のほか、難しければ椅子でも構わないと書かれていました。ただ、これはひとつのお寺の解説です。印の結び方や回数は宗派やお寺によって教え方が違うこともあるので、菩提寺がある方は一度聞いてみると安心です。

金剛院の公式サイトでは、真言はその意味を頭で理解することよりも、声に出して「唱える」ことが大切だと書かれていました。自分で声を出しながら、その声を自分でも聞いていることに気がつく、それがとても大切なのだそうです。

栃木市の満福寺の公式サイトでも、「心のお薬 光明真言」として、心がモヤモヤしている時や不安がある時に、光明真言を唱えながら心を落ち着かせ、唱えている自分の声に耳を澄ましましょうと呼びかけていました。

金剛院のサイトには、光明真言の読み方を書いた印刷用のPDFや音声のMP3も用意されていて、個人で使用する目的に限ってダウンロードできるとのことです。初めて唱えるときは、こうしたお手本の音を聞きながら練習するのもよいでしょう。

光明真言にまつわる法会

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光明真言は、日々の勤行だけでなく、大きな法会でも唱えられています。ここでは、奈良の西大寺で毎年秋に行われる法会と、光明真言を唱えながら堂内を歩く法要を紹介します。

西大寺の光明真言土砂加持大法会と、唱えながら歩く「光明三昧」

奈良市観光協会の公式サイトによると、西大寺の光明真言会は、鎌倉時代の1264(文永元)年に叡尊上人が創始した法要です。叡尊の入滅後は8月18日から25日に、さらに近代に新暦への改定で10月1日から8日に日程が変わり、西大寺一門の最大の年中行事として多くの参拝者を集めてきたと書かれていました。

朝日新聞の2026年10月4日の記事によると、本尊の前に置かれた土砂は、僧侶らが途切れることなく唱え続ける光明真言で清められ、極楽往生や五穀豊穣をもたらす力を持つとされるそうです。全僧侶が列になって本堂の畳の上をゆっくり進み、一音ずつ真言を唱える「光明真言行道」もあると紹介されていました。

天台宗の公式サイトにも、光明真言で加持した土砂を亡くなった方に散ずれば、苦しみを離れる大きな功徳があるといわれる、と書かれていました。土砂加持は、宗派をこえて受け継がれてきた考え方なのですね。

Xでも、今年10月に西大寺の法会を訪れた人の投稿が見つかります。朝4時からの座に参拝したという投稿や、一音唱えるのに畳一畳を進んでは止まる行道の様子を伝える投稿があり、「よく注意して聞かないと光明真言だとわからなかった」という感想もありました。

大正大学の仏教学科のブログでは、真言宗智山派の「光明三昧法要」が紹介されていました。光明真言に節をつけて唱えながら行道する法要で、光明真言の力によって、すべての亡くなられた方たちを供養する総供養法要だそうです。

同じブログによると、光明真言の節は、初重・二重・三重といわれる三段階の声の高さで唱えることになっています。経頭が唱え始めると他の人も立ち上がって一緒に唱え、堂内を一列になって回るという流れでした。

このブログでは、経典によれば光明真言を読誦するとあらゆる罪障を除くことができ、死者のために唱えると極楽浄土に往生できるといわれ、日本では中世から光明真言への信仰が盛んになったと説明されていました。お寺の行事で耳にしたら、こうした背景を思い出してみてください。

まとめ

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光明真言は、正式には「不空大灌頂光真言」といい、大日如来の真言です。23の梵字(休止符を加えて24字)から成り、「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」と唱えます。

一語ずつの意味をたどると、大日如来をはじめとする金剛界の五仏に、光で照らしてくださいと願う言葉だと読めます。読み方は、智山派の「はらはりたや」や天台宗の「びろしゃな」のように宗派で少しずつ違うので、自分の家の宗派の経本に合わせるのが確実です。

意味を知ったうえで、まずは一度、声に出して唱えてみてはいかがでしょうか。

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この記事を書いた人

宗教文化への敬意を大切に、歴史や用語、寺院文化を資料に沿って紹介する編集部です。

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